1945ひろしまタイムライン_ロゴ

8月と言えば、終戦。

2020年はちょうど75年目にあたるんですね。

ほねは田舎に来てからご近所に高齢者の方が増えて、まさにこの激動の昭和を生き抜いてきた方はホントにたくましく元気で驚きます。

だからと言って、ご近所の方にそこまで戦争の話を伺ったりはしていません。

今回は、NHK広島による企画、「もし75年前にSNSがあったら? 1945ひろしまタイムライン」について。

※公式サイトはこちら

この記事の目次

突然、タイムラインに【1945年】のツイート

8月6日。

タイムラインに他の人が「いいね」したツイートとして表示されたのが、やすこさんでした。

ツイートの内容をどうやってここに埋め込むのかわからないのと、内容的に…うーん。。というのとで控えておきます。

スケさん
え、何? 何?

大スケさん
そこは…察するところだ。8月6日は何の日だ?

うさちゃん
原爆ね。この世の地獄がツイートされたの
う、うさちゃん、さらっと…。
ほねもできれば、こういうのちゃんと一人一人が知って理解できたらいいと思うよ。
けど、一方で、ほねはツイート追いかけながらさすがに昼ご飯とか食べられなくて。だから人によっては想像するのも難しいという場合もあるんだろうと想像してる。

どういう企画?

企画タイトル通り、75年前にSNSがあったら、というのを柱に、当時広島にゆかりのある3人の市民の方の日記をもとにツイートしていく企画です。

3人の方は、

  • やすこさん(26歳)

お腹に初めての赤ちゃんがいて、夫が医師。でも夫は出征して九州に、自身は広島市から疎開して緑井にて義父のいる病院を手伝っているところ

  • シュンちゃん(13歳)

広島の中学一年生。現在もご存命ですが、原爆でいろいろとご病気をされてきています

  • 一郎さん(32歳)

広島の新聞社で記者をされている方。やはり一番情報が早く、現状を冷静に捉えています

 

ほねは8月6日から追いかけていますが、実際のところはもっと前からツイートされています。

どこからなんだろう?

企画の期間がよくわからないのですが、公式サイトに公開されている皆さんの日記の原文が3月からだから、3月からかな。

あと、1年の企画って言ってます。

え…? これ、1年続くの??

くまモン
今まで戦争というと8月の一時期だったから興味深い取り組みだモン!
そうだよねぇ。
夏以外の季節は皆さんどうしてたんだろうとずっと疑問だったから、ようやく知ることができるかもしれない。

Twitterだからこその、威力

Twitterは言わずもがな、140文字以内での投稿。

画像も貼れるけど、メインは言葉。だからこそ、今ここで起きたことをすぐにアップできる気軽さがあり、戦時下というか原爆投下後の大変な状況でもタイムラインにツイートが流れてきても「そんなことできるわけない」ではなく、納得できます。

これがこの企画の秀逸なところではないかと。

大スケさん
ツイートは誰かに受け取めてもらいたくてするんだよな

 

それから、タイムラインへの乗せ方もきちんと練られており、中の皆さんが手を抜いてなくてスゴイんです。

壊滅的なダメージを負った惨状ですから、当然、公共交通は機能していないし、自転車だってパンクしている。歩くしかない。

そうやって歩きながらツイートしていく、その状況をどこからどこは何kmだからこれくらい時間かかる、と計算してツイートしています。

うさちゃん
これはリアル!!
そうなんだよ。
しかもさ、原爆投下後も空襲にあってるんだよ! 夜中に警戒警報とか、深夜にツイート入るの。全然休みなしだったのがすごく伝わってくる。

スケさん
えぇ~っ。何でそんなことするの?
ツイートのコメント欄には、他のところで余った爆弾を落として帰っていったとか、偵察だとか書いてあった。
たしかに、荷物が無い方が燃費を考えると良いだろうし、どれくらいの被害か記録を取っていたから、なるほど、だよね。
皆さん、いろんな情報を持っていて、今回の企画で初めて知ったことも多かったです。
一部というか、マンガだけ紹介しておきます。

『原爆にあった少女の話』さすらいのカナブンさん作

さすらいのカナブン_原爆にあった少女の話

↑画像をクリックするとジャンプルーキーの該当ページへ飛びます。

作者である、さすらいのカナブンさんのおばあ様が当時、広島で電車を運転されており、まさに乗務中に被爆されたその体験をマンガにされています。

うさちゃん
淡い恋の話もあるのがいいわ~

この電車、今も現役で走っているとか。驚きます。

今年は当時のカラーにした車体で走ったようです。

関連するYahoo!ニュースがありました。→こちら

『原爆と戦った軍医の話』さすらいのカナブンさん作

さすらいのカナブン_原爆と戦った軍医の話

当時、軍医をされていた肥田舜太郎さんの被爆体験を漫画化されています。上記と同じ作者の方の作品です。読んだときは全然気づいてませんでした。すみません。。

救援にあたった一般の方も放射能の影響で亡くなってしまう描写があり、ようやく、だから「感染するから近寄ってはいけない」という間違った差別が生まれたのかと理解することができました。

『ヒロシマを生きた少女の話』さすらいのカナブンさん作

さすらいのカナブン_ヒロシマを生きた少女の話

こちらもさすらいのカナブンさんの作品です。1作目のおばあ様のいとこの方の体験をマンガにしています。

100ページの大作!!

ということで、ほねもまだ読めていません。とか言って、すぐ読むと思います。

大スケさん
マンガ読むのはやることやってからにしような
あい。大人なので気を付けます。

戦争が日常ではないことのありがたさ

ほねが「戦争」をリアルに想像したのは、実は湾岸戦争です。

当時は湾岸戦争が、現在進行形の、日本が関わる戦争でした。

戦争といえば空襲、爆撃という知識があったため、もし日本がまた攻撃されたらと想像しました。

大みそかに、除夜の鐘をつきに親と暗い中を歩いていた時に。

「もし、ここで例えばこの家の屋根が爆撃されたら…?」

スケさん
いや! 無理! 逃げられない!!
そんな機転をきかせて動くとかできない気がしました。
自分で想像したくせに、自分の想像がリアル過ぎてマジこわくなって、いまだに恐ろしいことを想像してしまったと時々((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルしてます。
でも、75年前はこれが日常で。
「また明日~」
が本当に来るのかもわからない日常だったんですよね。。
もちろん、今だって明日はわからないので、ビビりらしく日々(今この瞬間も)ビビって生活してますけど。

くまモン
もしもを考えすぎだモン!
取り越し苦労が多い=平和、な1日が多く、……本当に平和なんだなぁと、ひろしまタイムラインを見ては思っています。
ところでこれ、ホントに1年やるのでしょうか。
あんまりちょこちょこツイート見ていると平和な日常が圧迫されていくので、そろそろ1日1回まとめてみたりしようかな。
タイムラインを追いかけるのがきつい方は、各自のツイート又は週に一度?のペースでまとめてアップされるご本人たちの日記原文でたどるのもアリかと思います。これ、原文画像を見るのではなく、活字にしてくれているので読みやすいですよ。
終戦まではあと4日ですが、日常は終わりません。張り詰めていた何かが取れた後に立ちはだかる戦後の復興。
どうなっていくのでしょう…。。
気になった方は、 #ひろしまタイムライン 検索してみてください。

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